1.嫌んなった
2.シカゴ・バウンド
3.ちょいとそこ行くネエチャン
4.キイ・トゥ・ザ・ハイウェイ
5.ドツボ節
6.シャッ・シャッ・シャ・ビ・ダ
7.おそうじオバチャン
8.ひとり暮し
9.カインド・ハーテッド・ウーマン
10.シェリー・ロール・ベイカー・ブルース
11.はんか街のはんぱ女
12.グッバイ・ベイビー
1975/11/01 (JP)
しのごの言わずに聴いてみろ。
憂歌団はまさにそれで良いとも思う。
このアルバムを、まずは聴け、と。それで合わなかったら、憂歌団とは縁がなかったと思えば良い。
但し、君がもしまだ若いという自覚があるのなら、そういう自覚が薄れてから再度聴いてみても良い。逆に、あなたがもう既に若いなんて言ってられないのなら、やはり縁がなかったのでしょう。
さて、しのごの言わずなどと書きながら、やはりしのごの書きたいのである。
憂歌団のアルバム・デビューはこのアルバムだが、それ以前のステージでのキャリアが数年ある。そして1970年代中盤に京都を中心にブルース・ブームが起き、メジャー・デビューとなる。同時期に、京都の磔磔、拾得、京大西部講堂などで、ウェスト・ロード・ブルース・バンドや上田正樹とサウス・トゥ・サウスの名前と共に、憂歌団もそのブームの中心にいた。その中でも憂歌団はアコースティック・サウンドで、しかもオリジナルよりも様々な曲をコピーして、英語で歌っていた。この模様は後に発表された『Blues 1973-1975』でうかがい知ることができるが、アルバム製作に当たっては日本語でという、どちらかと言うと製作側、販売側の意向により、イエロー・ブルースの代表とも言える憂歌団の音が出来上がることとなった。
このアルバムは、何と言ってもまずはオープニングである。
いきなりである。
アコースティック・ギターのイントロの4小節目が終わる頃、木村秀勝(本名。現在は木村充揮と名乗っている)の声で「嫌んなった~」で、ガツンと来る。それだけでもう憂歌団の世界にどっぷり引きずりこまれてしまう。
憂歌団はある意味奇跡のバンドである。
ブルーズにどっぷりのギターの内田勘太郎と天性のダミ声木村秀勝は高校の同じクラスで、その二人が組んで憂歌団が始まった。同じ高校というよりも、小学校からの知り合いという関係だし、後で合流するベースの花岡憲治も同じ高校、ドラムの島田和夫もごく近所と、言ってみればごく限られた町内の、しかも同じ銭湯を利用していたというような同級生が集まって、そしてメンバー・チェンジもせずにプロとしてアルバムを何枚も出し、1999年の活動休止まで活動してきた。さらには基本的に自分の生まれ育った街をそのまま生活の場として過ごしてきたという点でも奇跡的だ。
このアルバムが出た当時、恐らくはアコースティックという分類をするとフォークが主流だっただろうし、憂歌団なんてすごくマイナーな存在だったのだろう。私はその後いつの頃からか憂歌団という名を知るが、音を聴くよりも先に写真で見たアコースティック・バンドの姿から勝手にフォークかという先入観を持ってしまい、おまけにブルーズといってもあまりよく知らなかったために、憂歌団の音を聴くにはさらに数年かかってしまった。後から思えばブルーズに対する誤解もあり、それが悔やまれる所である。つまり、ブルーズと言っても日本で触れることが多い「ブルース」というものの一端しか知らなかったことで、つまらない音楽だと思ってしまっていたのだ。ブルースの女王と呼ばれた淡谷のり子の歌は確かに素晴らしかったのだろうが、親父の世代の懐メロ以上に古い歌だし、後は「受験生のブルース」だとかの「○○のブルース」といった類のカスのようなフォーク・ソングが、ブルースとはつまらない音楽だという先入観を植え付けてくれた。
確かに、ロックの洗礼を受けた子供にとっては、「シカゴ・バウンド」を聴いた所で「眠い」と言ってしまったかもしれない。
とは言え、やはり今でもこのアルバムの冒頭の「嫌んなった」と「シカゴ・バウンド」は憂歌団らしい代表曲で、今でもたまに聴きたくなってしまう。白人によるホワイト・ブルーズがあるとして、日本人によるイエロー・ブルーズが誕生したとしたら、それこそこの2曲もその重要な位置を占めるだろう。
とは言え表面的には「シカゴ・バウンド」はあくまでもブルーズに傾倒する日本人によるイマジネーションの曲ではある。しかし舞台にはシカゴに職を求めて流れ着いた黒人が登場しているが、それは単にその姿に仮託しているに過ぎない。心情的には日本人でも黒人でも関係ないものだ。そしてこんな曲を歌えるヴォーカルが憂歌団にいたということが素晴らしい。
この曲は「盲のレモンも死んじまったし」という歌詞がある。今となってはこの歌詞が紹介される際には「レモンも死んじまったし」となっていることがほとんどで、後に出されたベスト盤の中にはライブ音源から「盲の」の部分が聴こえないようにしたものまである。
果たしてそれでいいのだろうかと、やはり思ってしまう。
この部分は初期ブルーズのブライド・レモン・ジェファースンを指している。彼を親しみもこめて呼ぶ場合の "Blind Lemon" を日本語にすれば、「盲のレモン」でないとそぐわない。別に差別したり侮辱するという感情は一切ない表現として。
それにしてもブルーズ・マンには、特に古いブルーズ・マンには盲目の人が多い。ブラインド某と名乗るのは何人もいるし、ブラインドが名前に付かないジョン・エスティス(スリーピーが付く)もいる。さらにはレイ・チャールズやスティーヴィー・ワンダーも続く。そこにはアメリカの黒人社会では目が見えなくなると農場でも働けなくなるし、歌の他に生きる糧がないという現状もあったのだろう。しかしジョン・エスティスのように忘れ去られて数十年後にかつてのブルーズ・マンとして世間に「再発見」された時には、すごい貧窮の中にいたという。また、統計情報を見たわけでもないが、黒人の方が失明する確率が高い環境の中に過ごしていたのだろう。ブルーズについて考えるとしたら、その辺りもしっかりと見ていく必要がある。
こんなことをしのごのと書きながら、やはりこのアルバムはふとこの2曲を聴きたくなって思い出したように手に取ることがある。そしてそのまま最後まで聴いてしまう。後に続く曲も結構良いのだ。
その中でも、笑福亭仁鶴師匠の「おばちゃんのブルース」をベースとした「おそうじオバチャン」は憂歌団のデビュー曲としてシングル・カットされたが、1週間で放送禁止曲に指定されたという。それに対して彼らは「お政治オバチャン」という曲も作っているが、ライヴでは「おそうじオバチャン」は演ったとしても「お政治オバチャン」は演らなかった。関わるのが面倒なのかもしれないが、今でも「お政治オバチャン」にぴったりな時代遅れなオバチャンが頭の中に浮かんでくるのが面白い。
それにしても、と思うのだ。どうして関西にブルーズが多いのか。かつてはこの憂歌団だけでなく、サウス・トゥ・サウスやウェスト・ロードの系譜を引く人たちをはじめ、三井はんと大村はんや、果ては犬井ヒロシに至るまで、関西はブルーズ密度が非常に高い。その理由探索は、また何かの機会にと思いつつも、これだというきっかけがつかめないままでいる。
(Music Review より転載)
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